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歴史文化, 鹿沼学舎

鹿沼の文学碑を歩こう レポート 

鹿沼の文学碑を歩こう レポート 

10月16日(日)、歴史文化部会主催事業「鹿沼の文学碑を歩こう」が、予定通り実施されましたので、その模様をレポートします。

午前9時、市役所に集合した参加者は9人と少々少なめでした(途中であと2人が合流し、11人になりました)。でも、鹿沼学舎の会員だけでなく、短歌を読まれる方や、半田良平顕彰会の方など、幅広い面々が集まりました。なお、参加者が少ないので、バスの借り上げは中止し、自家用車に分乗しての行程となりました。

午前中は、全国誌「窓日」を主催した歌人、江連白潮(1907~1979)の文学碑を訪ね歩きました。

最初に訪れたのは、北小学校です。平成12年に建てられた一番新しい歌碑が、校長室の前にあります。江連白潮は、北小の校長を務めたことがあります。

「春よ来い 春よ来いと歌ふ子ら うたのごとくに春待つわれは」

次に末広町の蝉が淵稲荷社へ向かいました。ここの鳥居前に、平成7年に、本人の米寿記念に建てた歌碑があります。白潮は、この近所に長年居を構えていました。

「短日の 晩霞うつくしき 昨日けふ いまだ鹿沼の 保つ風光」

3番目に訪れたのは、富士山公園です。ここの頂上付近に昭和50年に建てられた、一番最初の歌碑があります。

「野の極み つくば嶺を据ゑ 下野の 名におふ鹿沼 皐月ノ花の町」

この日は曇っていて見えませでしたが、天気の良い日には、ここから筑波山が良く見えます。

4番目に訪れたのは、酒野谷の円明寺です。ここの歌碑は、富士山の歌碑の次に建てられました。

「石裂への 札所一番 円明寺 百鳥の響ミ 山より聞こゆ」

この年(昭和51年)白潮先生は栃木県文化功労賞を受賞しています。また、白潮先生の墓所は、この日のすぐ裏手にあります。また隣には、この日解説をお願いした森田春雄氏が建てた万葉歌碑があります。

最後に訪れたのは、緑町の晃南印刷です。社屋の玄関脇に、平成8年に建てられた歌碑があります。

「よきリーダー有りて 隆々たるその社運 六十年いまだ とどまるを知らず」

晃南印刷の創業60周年を祝っての歌だそうです。

ここまでで江連白潮先生の歌碑めぐりは終わり、午後は半田良平先生の歌碑を歩きました。

最初に訪れたのは、鹿沼市花木センターです。ここで各自昼食をいただきましたが、その前に、

花木センターの一番高いところにある歌碑を見学しました。

半田良平顕彰会が、良平の三十三回忌に当たる昭和53年に建てた歌碑です。良平の胸像も埋め込まれ、

鹿沼市長(当時)の古澤俊一氏が揮毫したものです。

「たはやすく 雲のあつまる秋ぞらを みなみに渡る 群鳥のこゑ」

サイパンで戦死した三男を思って詠んだ歌です。

次に訪れたのは、良平の母校でもある津田小学校です。

「たゝ一首の歌に その名をとゝめたる わか下野の今奉部与曾布」

昭和25年に建てられた、良平最初の歌碑です。選歌と揮毫は、良平の師である窪田空穂です。

続いて学校のすぐ裏手にある良平の生家を訪れました。ここの庭に、昭和61年に建てられた歌碑があります。

現在のご当主である半田孝雄さんのご好意で、拝見することができました。

「ふる里の 家の門みち 長けれハ ゆきかへり見つ 日の暮れかたを」

父親に勘当されていた良平が、久しぶりに実家へ帰った時の歌だそうです。家の門前の「門みち」は、今でも当時のまま残っています。

次に訪れたのは、津田小からほど近い場所にある松原近隣公園です。ここに平成2年に建てられた歌碑があります。

「この原ゆ ただにそばたつ 男体の 山をかしこみ 草に座てあおぐ」

戦場ヶ原で詠んだ歌ですが、この場所からも日光の山々を見ることができます。

最後に良平の墓所を見学しました。

すべての見学を終え、市役所に戻って解散しました。全行程にわたって解説を努められた森田氏と、

半田良平顕彰会の方々、そして半田孝雄氏をはじめ、ご協力いただいた方々に深く感謝申し上げます。

(文責 鹿沼学舎事務局 福田純一)