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歴史文化, 鹿沼学舎

「彫刻屋台の魅力を探る」レポート

「彫刻屋台の魅力を探る」レポート

9月22日(日)「彫刻屋台の魅力を探る」を開催しました。

午後1時、屋台のまち中央公園に集まった参加者は20人
この日の講師を務めてくださったのは、彫刻師の黒崎孝雄さんです。

大田原出身の黒崎さんは、富山県井波で彫刻修行の後、
平成元年から鹿沼市で屋台の彫刻制作をはじめ、
鹿沼市を中心に県内外の屋台や社寺彫刻を手掛けています。
彫刻師としての名前は黒崎嘉門。
屋台等の彫刻についての研究者としても活躍され、
現在鹿沼市の文化財審議委員を務めています。

黒崎さんと一緒に屋台展示館に入り、説明を受けます。

入り口にあるこのモニュメントの彫刻も、黒崎さんの作品です。

ここには銀座1丁目、久保町、銀座2丁目の3台の屋台が常設展示されています。
まず銀座1丁目屋台について説明を受けました。

銀座1丁目屋台は、黒漆塗り屋台に白木彫刻が取り付けられているという、特異な形態をとっています。これは、文化年間につくられた彩色彫刻屋台を本体はそのままに天保から安政年間に白木彫刻を取り付けたためです。

彫刻師はこれまで、磯部儀佐衛門信秀(凡龍斎)らと考えられていました。町内の古文書に曽の名前が記されていたからです。しかし、黒崎さんは彫刻の特徴(水引の「リスとブドウ」、鬼板等の龍など)から、彫刻師は石塚吉明(戸張町屋台等を手掛けた彫刻師)ではないかと推論されています。

次に久保町屋台の解説を聞きます。久保町屋台は、全面に彩色彫刻が施され、金泥彩色や飾り金具を豊富に使った絢爛豪華な作りです。

製作年代は文化年間ですが、その際作られた屋台は嘉永2年に壬生の助谷に売却され、天棚として使われています。鬼板・懸魚と脇障子は売却せず、現在の屋台に引き継がれています。鬼板・懸魚の金竜は特に見どころで、破風板と一体化した作りになっています。

彫刻師はこれまで不明とされていましたが、黒崎さんは小山市横町の屋台(現在は使われていない)の脇障子彫刻に注目しました。その彫刻(唐獅子牡丹)の構図が、久保町屋台とそっくりなのです。そちらには磯部儀兵衛隆顕(木斎)の銘が入っており、このことから黒崎さんは、久保町屋台の脇障子彫刻も、磯部木斎の作ではないかと推測しています。

最後に銀座2丁目屋台の説明を受けました。
銀座2丁目屋台は、安政年間に完成した白木造り彫刻屋台です。
現在白木屋台を保存している町内では、かつては彩色屋台を所持していて、それを他所に譲った例が多いということです。
天神町の旧屋台は下館へ、中田町の旧屋台は徳次郎上町へ、麻苧町の旧屋台は白沢へといった具合です。
銀座2丁目の場合は、旧屋台を火災で焼失し、現在の屋台が作られた記録が残っています。
ここでは、彫刻の部材となった木の種類について詳しく説明を受けました。
カヤの木が使われているのは、ここだけですが、引田の密蔵院のカヤが使われている記録が残っています。

以上、3町の屋台について、彫刻師の立場から、また専門研究者の目から、大変興味深い説明を聞くことができました。黒崎さんに感謝です。次は他の町内の屋台の説明も聞きたいと思いました。
また、間もなく開催される鹿沼秋祭りで、実際に各町の屋台を見る目も違ってくると思います。

報告:福田純一