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事務局, 鹿沼学舎

「日光田母沢御用邸とその庭園」見学会の報告

「日光田母沢御用邸とその庭園」見学会の報告

日光田母沢御用邸は、皇太子時代の大正天皇の御静養所として明治32年に造営されました。明治期以降に造られた御用邸建築にあって、全体がほぼ完存する唯一の御用邸であり、平成15年に国の重要文化財に指定されています。
平成25年12月23日(天皇誕生日)、鹿沼学舎会員とその家族・知人の27名が日光田母沢御用邸に集い、本御用邸元解説員の松井 任 氏(元今市工業高校長)の詳細な説明を受けながら、御用邸の建築美と技術、田母沢の地形と自然を生かした庭園美を堪能し、皇室文化の一端にも触れることができました。
庭の所々に雪があり、日光特有の底冷えのする気候でしたが、好天に恵まれ、また、御用邸職員の細やかな心遣いを受け、とても良い見学会となりました。

1 日光田母沢御用邸のあらまし
日光田母沢御用邸は、日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、赤坂離宮として使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部を移築し、その他の建物を新築する形で造営されました。その後、小規模な増改築を経、さらに大正7年から大規模な増改築が行われ、大正10年に現在の姿となりました。各建物は廊下で巡覧でき、屋根も一つにつなげるなど、統一的な空間と機能を構成しています。このように、日光田母沢御用邸は江戸・明治・大正の各時代の建築が混在していますが、御用邸建築に携わる匠の鑑識眼と技により、全体として見事に調和が取れています(部屋数106室、総建物面積約1、360坪の規模)。
昭和22年に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になりました。その後、博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけて修復・整備され、平成12年に記念公園として蘇りました。日光田母沢御用邸の庭園は四季折々に風情があり、「日本の歴史公園100選」に選定されています。

2 日光田母沢御用邸の一部紹介
(1)御車寄(赤坂離宮から移築、明治時代の建物)
唐破風形式の格調高い御車寄は、皇太子嘉仁親王の花御殿(東宮御所)の玄関として、明治22年に増築されました。日光の田母沢に移築後も屋根は柿葺でしたが、昭和初期に銅版に葺き替えられました。木組の先は胡粉塗で、照明器具は当時のものを仕上げ直しました。

(2)謁見所(天皇が公式の来客と面会された部屋、大正時代増築部)
床の間、棚、書院を設け、天井は格天井(ごうてんじょう)とした書院造りを基本としながら、畳敷きに絨毯を敷くなど和様折衷です。最良の桧の材料や様々な技法に格式を重んじる書院造りの特徴を見ることができます。大正天皇ご即位後、御用邸での公式儀礼などが増えたことから増改築されました。
陛下は玉座に座らず、お立ちになって引見され、玉座の左の卓子は帽子を置かれた台です。

(3)内謁見所(皇后が来客と面会する部屋、大正時代増築部)
床の間脇の書院には透かし彫り付きの紫檀の違い棚があり、黒地に金の装飾を付けた照明は日光田母沢独自のものです。

(4)御座所 (大正天皇の執務室・居間、赤坂離宮から移築)
旧紀州徳川家中屋敷部分の1階にあり、床(とこ)・棚を設けた和室ですが、床(ゆか)には絨毯を敷き、天井からはシャンデリアを吊るした和洋折衷形式です。御座所は天皇陛下が日常的な公務をお執りになる所で、居間にあたる部屋です。紀州徳川家では、この三階家部分は家臣や大奥の女性からも離れ、対面や格式を必要としない藩主の個人的な空間でした。そのため、障壁画のない白い張付壁・天井になっています。

(5)御学問所(天皇の書斎、赤坂離宮から移築)
旧紀州徳川家中屋敷部分の1階にあり、床の間の壁などに梅樹が描かれたことから梅の間と呼ばれてきました。天保11年の創建時は9帖で格挟間形の付書院と違い棚を備えた、現在よりも華やかな部屋でしたが、田母沢に移築する前に増改築され、現在の21.5帖の広さになりました。書院様式に数寄屋風の意匠を取り入れることで、当主の好みを感じさせる私的な空間を作り出しています。天皇陛下の書斎として使用されました。

(6)御展望室(赤坂離宮から移築、特別公開は休園日を除く12月15日から翌1月31日まで)
三階御展望室は紀州徳川家江戸中屋敷(3階)の赤坂離宮・花御殿部分を移築したもので、数寄屋風の意匠が特徴。御展望室からは庭園が一望できるほか、7千平方メートルに及ぶ一、二階の見事な屋根の連なりも間近に見ることができます。 畳敷きで、他の部屋と異なり、数寄屋風のくつろいだ造りになっています。

(7)劔璽(けんじ)の間(赤坂離宮から移築)
旧紀州徳川家中屋敷部分の2階にあり、皇位継承の象徴である天叢雲剣の複製と、八尺瓊勾玉の安置するための3畳の小部屋です。
剣璽は三種の神器のうち、天叢雲剣と八尺瓊勾玉を併せた呼称。神器の勾玉を璽(あるいは神璽)とも呼ぶため、「剣璽」と称されます。劔璽は、天皇の1泊以上の行幸にはともにする習わしで、剣と勾玉の安置所には繧繝縁(うんげんべり)の畳が置かれています。御所では天皇の寝室の隣に「剣璽の間」があり、そこに神剣(天叢雲剣の形代)と神璽(八尺瓊勾玉)が安置されています。

(8)本邸南に広がる庭園(小林年保所有の「日光田母澤園」を転用・改修)
明治、大正、昭和の三代の天子が好んで遊ばれた名園で、自然の妙趣を生かした芸術作品と言えます。ゆったりとした庭園には田母沢川が流れ、春はシダレザクラ(樹齢約400年、日光市指定天然記念物)、春から初夏には県花であるヤシオツツジやアヤメ・アジサイ、秋には素晴らしい紅葉が楽しめる上、冬の雪景色も大変風情がある、四季折々に訪れる人の目を楽しませてくれます。

事務局, 鹿沼学舎

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます

<2014年元旦、今年も花木センターから初日の出を拝みました。
今年は東の空に薄靄がかかっていたため、朝焼けのような真っ赤な日の出となりました。

今年も鹿沼学舎の活動をよろしくお願いいたします。

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