11月13日(日)、晴天の下「南押原~羽生田の自然と史跡めぐり」が開催されました。
午前9時、南押原コミュニティセンターに集合したこの日の参加者は10人。2台の車に分乗して羽生田小学校へ移動しました。
羽生田小学校の地は、戦国時代の城郭「羽生田城」の跡地です。
学校西側には深い堀や土塁が残っています。

学校の隣のお寺「歓喜院」も城郭祉に建っています。
山門は安永9年(1780)建造の町指定文化財です。

ここから歩いて羽生田の古墳群へ向かいました。
台地上に円墳・前方後円墳など県内を代表する大規模な古墳が分布しています。
まず訪れたのは、桃花原古墳。
7世紀前半に築かれた円墳で、直径63m、高さ約5mです。


続いて茶臼山古墳へ向かいました。
羽生田北部の里山を昇っていくと、丘陵の上に巨大な前方後円墳が姿を現します。

続いて東に向かい、やはり山の中腹に登ると、富士山古墳が現れます。

こちらは6世紀半ばに築かれた円墳で、直径85m、鷹さ12mです。
この古墳からは、国内最大級の家形埴輪が出土しており、現在は壬生町歴史民俗資料館で見ることができます。

富士山古墳を後にし、再び羽生田小学校へ戻りました。
羽生田古墳群には、このほか前方後円墳の長塚古墳もありますが、今回は時間の関係で行けませんでした。
なお、4つの巨大古墳は、富士山古墳→茶臼山古墳→長塚古墳→桃花原古墳の順番に築造され、
この地域を支配した王の墓と考えれれています。
羽生田から車で北赤塚へ移動しました。

昼食をはさんで北赤塚の一里塚を見学しました。
ここは、日光道中壬生通りの一里塚で、江戸から25里(100キロ)地点になります。
鹿沼市域には、かつて4つ(北赤塚―奈佐原―鹿沼―富岡)の一里塚がありましたが、
現在完全な形で残っているのはここだけです。
付近には馬頭観音などの石造物も多数残っています。

続いて近くの判官塚古墳へ移動しました。
鹿沼市指定文化財の前方後円墳で、長さ60.9m、髙さ5.1mです。
後円部に横穴式石室がありますが、中には入れません。
墳丘上にはニラが繁茂しており、強烈なにおいでした。
続いて車で磯山神社へ移動しました。

現在はアジサイの名所として有名ですが、本殿は県の文化財に指定されています。

最後に、南押原コミュニティセンターへ戻り、併設されている千葉省三記念館を見学しました。

午後3時終了、午前中はほとんどが歩きの行程でなかなか大変でしたが、
南押原と羽生田地区の歴史の一端を堪能できました。
参加された皆さん、お疲れ様でした。