keyboard_arrow_right
keyboard_arrow_right
千葉省三作品のふるさとを訪ねる レポート
歴史文化, 鹿沼学舎

千葉省三作品のふるさとを訪ねる レポート

11月18日(日)、鹿沼ゆかりの児童文学作家 千葉省三の作品のふるさとを訪ねるツアーを企画しました。

明治25年(1892)に河内郡篠井(現在の宇都宮市篠井)に生まれた千葉省三は、小学校の校長先生だった父親の転勤に伴い、7歳の時に南押原村楡木宿(現在の鹿沼市楡木町)に移り住んできました。そして、22歳で上京するまでの15年間を楡木で過ごしました。後に「郷土童話」と呼ばれる土の香りのする作品を数多く発表しますが、楡木を中心とした鹿沼の各所がその作品の舞台となっています。

参加者は、午前9時に楡木小学校に集合しました。この日の参加者は、鹿沼学舎会員のほか、楡木小の校長先生、教頭先生など学校の先生や、一般参加者など15人。作品の舞台を案内してくださったのは、長年にわたり、千葉省三作品を楡木小の子供たちに紹介する活動を続けてきた、楡木小KLV(カリブ=図書館ボランティア)の皆さんです。ちなみに楡木小は、省三の母校で、宇都宮中学校を卒業した省三が、上京するまで代用教員を務めた場所でもあります。

一行は車に分乗して楡木小を出発、最初に向かったのは、元の役場があった場所に立つ「千葉省三記念館」です。ここには、遺族から寄贈された省三の遺品や原稿、著作などが展示されています。

次に、「仁兵衛学校」のモデルとなった南押原高等小学校の跡地へ行きました。先生と子供たちの温かい心のふれあいを描いた作品です。現在は記念碑だけが建っています。

続いて、仁兵衛学校の場所から移転新築した南押原高等小学校の地である、現在の南押原中学校へ行きました。現在の鉄筋校舎の壁面に、往時の高等小学校校舎の絵が、陶板で取り付けられています。ここを舞台に「けんか」「井戸」といった作品が生み出されました。

続いて楡木に戻り、黒川に架かる楡木橋の西岸から日光方面を臨みます。現在は田んぼになっているこのあたりに、かつて「権太郎渕」と呼ばれた沼がありました。名作「虎ちゃんの日記」に出てくる「大沼」のモデルといわれています。

橋を渡り、「乗合馬車」のモデルとなった南上野町を通り、藤江町の鹿沼カントリークラブ内へ行きました。ここは「高原の春」の舞台となった場所と思われます。

林の中に、キラキラと光る泉がありました。ここが「高原の春」に描かれた「チョロチョロ金水」なのでしょうか?

今度は一気に上殿まで戻り、「つけひげ」の舞台となっている三日月神社へ行きました。
月読命を祀った神社で、かつては大きな縁日が催され、近在からの人出でにぎわっていました。その縁日に集う子供たちの姿を描いた作品が「つけひげ」です。

最後に訪れたのは、塩山町の「ダイシャクボウ」です。ここは名作「鷹の巣とり」の舞台となったところで、姥母石など弘法大師にまつわる伝説もある信仰の山です。

最後に楡木小へ帰ってきて解散、約3時間の行程で、省三作品の舞台を訪ね歩きました。今年は千葉省三の生誕120年の記念の年でもあり、さまざまな記念事業が企画されています。今回の事業もその一つですが、12月16日(日)には、鹿沼市民文化センターで「生誕120年のつどい」が開催されます。興味のある方はぜひおいでください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です